2007年04月25日
「安全」という名の偶然のために
4月25日である。
去年に比べると、ぐっと落ち着いた感じで「あの日」が伝えられている。
もっとも、一番騒々しいテレビメディアを見なくなったと言う個人的状況がそう感じさせているのかもしれないが。
事故調の報告書が夏くらいに出されるという報道がある。それは、総論的にはパイロットエラーが主因であるという方向で導き出されてくるだろう。
JR西日本も、遺族補償に関しては持久戦の構えである。
また、社会的にもそろそろこの事故の話題は「過去」の中に収められつつあるような印象がある。
そんな中、遺族の皆さん、負傷者の皆さんの気持ちはいかばかりなのであろうか。
当事者にして見れば、事故はまだ終わっていない問題、いや、永遠に終わらない問題であり、今でもJR西日本の責任者や当事者を晒し首にしても足りない気持ちであろう。にもかかわらず、私たちは確実にこのことに「折り合い」をつけ、被害者と遺族を置いていこうとしている。
事故の直後、これでもかとばかりにメディアがJR西日本を批判したとき、遺族の皆さんはきっと全国民が味方についたと感じたことだろう。しかし、2年たった今、そのときの怒りや感情は何だったのかというくらい、皆は自分の事に忙しく、あたりまえのようにそれぞれの生活に「戻っている」。そのことに無力感を持ち、改めて怒り、悲しみを抱かれている方も多いのではないだろうか。
社会が未来に向かって進み続ける事、残酷ではあるがそれは社会が生きた存在である以上当然のことである。その社会を支えるため、JR西日本が現状出来うる限りの対応の下、鉄道の運行を続けることも否定できない。
私は時が止まってしまった108名の命とそのご家族に対し、そのことを大変申し訳なく思う。それと同時に、その犠牲を「学び」とし前に進んでいく事を許していただきたいと思う。
これからも私はこの事故の真実を追い、憶い、行動し続けていきたい。
「安全」という名の偶然を毎日積み重ねられていけるように。
2007年04月19日
撃つべきものは心の銃

(画像はイメージで(以下略))
昨日の新聞に熊本市議選の選挙公報が折り込まれていたので一通り眺めていると、東京都知事選に出ていた「彼」も掲載されていた。
本当に立候補したのね。
都知事選は一種のショーとして見ていたから、彼の立候補も「ネタ」として見ていられたが、いざ自分に選挙権がある選挙に登場するとなるといかがなものかと考えてしまう。
あれだけ持ち上げたんだから投票するんだろうって?
うーん・・・。
=====
長崎市の伊藤市長が銃撃されお亡くなりになられた。
こころから哀悼の意を表したい。
昭和のはじめころに戻っていくかのような世相。教育も憲法も、その頃が良かったと呼び戻されつつある。
それが良いか悪いか、私は判断できるほど十分な学びを深めてはいない。
しかし、過去の同様の事例が惹き起こした結果について、私たちは目を逸らしてはいけないはずである。
歴史は学ぶものであり、倣うものであってはならない。
そして創り出すのは私たち自身ではないか。
おまえはいつまでも傍観者で良いのか。
私は「彼」からそれ投げかけられているような気がするのだ。
2007年04月16日
美しい国は専用機でお語らいください
(毎日新聞)<安倍首相>国内線搭乗を解禁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070411-00000012-mai-pol
正直、ご一緒したくないものである。
ボンバルディアの前脚よりはるかにリスクファクターだ。
国税で政府専用機を調達しているのであるから、そちらでどうぞ、と思う。
お忙しい身、そのほうがご本人もゆっくり出来るであろうし。
2007年04月09日
電波が電波を電波と呼ぶのを眺める電波な私
「電波知事の憂都」(そのまんま日記)
http://www.zunou.jp/higashi/diary2.cgi
宮崎県知事、過激である。
そこまで言うか、と思うが、あの不遜な都知事に物言えるのは今波に乗っている彼だからこそとは思う。
東京都知事選は、メディアに散々煽られていたが、私も争点のない「意味のない選挙」であったと思う。
#だったら、「応援フライト」なんてするなよというツッコミは謹んで。
対立軸であるはずの浅野氏のあの腰の引け具合っぷりには失望を禁じえなかった。
言っちゃ何だが、民主が絡むとろくな結果にならない。
東国原知事は夢や可能性の為に「保守」であり続ける東京が石原を選んだと書いているが、私は「誰かに依存するのがあたりまえの」主体性喪失の社会が、「自分たちの代わりに物言ってくれる」石原を支えているのではないかとも考える。
みのもんたや細木数子に代表されるように、「声が大きい」ひとが尊重される時代だ。
#もちろん物理的な「声量」のことではない。
議論を大切にする人は喜ばれない。なぜなら自分が議論に主体的に参加しなければならなくなるから。
言いたい事はあるくせに、その事を誰かに言ってもらいたいと思っている、それが今の社会の空気ではないだろうか。
そういう意味では、外山恒一氏は潔かったと思うのだ。
都知事選という舞台の中で、自分と社会を真正面に向かい合わせたその姿勢について私は評価する。
過激に見えるその主張も、「部分部分は」とても現代を鋭く射抜いている。
バカだなぁ、と思いながら見ていると、時々「おっ!?」と目を覚まさせられるのだ。
彼一流の「照れ」であるパフォーマンスにすべて塗りつぶされてしまっているのが非常に惜しい。
見逃した方のために・・・
外山恒一 政見放送(Youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=l2C9lv5t0yQ
こちらはおふざけ。
レッツゴー!外山恒一ver1.51(レッツゴー!陰陽師&外山恒一政見放送MAD)(ニコニコ動画/会員限定)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm127508
2007年04月08日
ドキッ!男だらけ(少し女性も)の県議会議員選挙!!ポロリ(失言)もあるよ!?

家族そろって選挙へ。
入り口に「執行」と掲げられるとなんだか絞首台でもあるのではと思ってしまう。まあ選挙は権利行使の場、厳正に執り行われる必要があるのは確かだが、もう少し敷居は低くならないものだろうか。
とはいえ、タイトルはふざけすぎである。
=====
県議会議員は、あまり皆さん主張が変わらないので、投票先に困る。
対立軸もなく、ネットでの情報も乏しい。
熊本市長幸山氏を支持し、熊本電鉄に関し何かしらの言及をしている議員のなかから「とりあえず」選ぶので精一杯だった。
私としては、むしろ福岡県知事選に投票したかった。
この人が当選してしまったのは非常に残念。
2007年04月05日
ゆりかごでありたい

(写真はイメージです(c)TBS)
熊本市が、市内の病院が設置申請していた新生児の緊急受け入れ施設「こうのとりのゆりかご」に正式に許可を出した。
単なる一地方自治体の首長が国民の生命を守る判断をしたことは、当然のことではあるが改めて敬意を表したい。私は熊本市民であることを大変誇りに思う。
子捨てを助長するか、それはふたを開けてみなければ分からない。
しかし、もしそうなったとしても、私たちが非難すべきは病院でも、子を捨てた親でもないはずだ。
過去に拘泥し口ばかり、形ばかりの美しさを唱えたって何も変わらない。
実践を繰り返し、未来を紡ぎだしていく作業こそが、今私たちに必要なことと感じる。
「ゆりかご」はその方法のひとつである。と同時に、方法のひとつに過ぎない。
「こうのとりのゆりかご」なんて要らなかったね、何を騒いでたんだろうね、と言えるように。
自らの生命のリスクを回避することも選択することも出来ない新しい人格の為に。
私もゆりかごのひとりでありたい。
2007年04月04日
言葉のプロでしょうから、そこんとこよろしく。

機内に圧力を加えた空気を送り込む装置だから「与圧装置」(MS-IMEでは「予圧」は出ないのでATOKなのだろうか)。
ここぞとばかりの「予圧」のオンパレードはちょっと圧巻だった。
読売新聞社の名誉のために付け加えると、この3時間後に文字が修正された差し替え版が出されている(ということは、気づいたんだろうなぁ。何気に「異状」→「異常」も修正されている)。

見出しにも著作権を主張されている読売新聞社ゆえ、用字用例においても範をとなられることを期待している。
2007年04月03日
「私たちは何を間違えたのか」は何を間違えたのか。
本当に久しぶりにテレビを見た。
「私たちは何を間違えたのか」
まぁ、例の番組の検証番組である。
自分たちが起こしたことに対しきちんと調査を行い、説明をしたことは評価したい。
どんな不祥事であれ、当事者に弁明の機会はすべからく与えられるべきと考えるからだ。
番組は、非常に良くまとまった内容だった。
いや、良くまとまりすぎているのだ。
企画、構成、演出・・・
映像メディアを知り尽くしたものだから許される、万全の「反省会」だ。
もし私たちが不祥事を起こしたとき、メディアは私たちにこれだけの弁解への手間と時間を与えてくれるだろうか。
ふと、こんな光景が目に浮かぶ。
お前らもお前らだから許せ、とは言わない。
ただ、物事の本質の解明には当事者と言えども必要なプロセスがあるということは、不祥事の当事者となったことで心に刻んでほしいと思う。
トラブルは安全の母である。これからの取り組みこそが、本当に大切なことだ。
=====
いっそのこと、裏番組に出ていた細木数子氏に「ズバリ言って」もらったほうがテレビ的には面白かったのでは。「関西テレビ」を「犯罪テレビ」に改名するとか。
むろん、上2行の発言は関西テレビをはじめとするメディアの皆さんへの励ましの発言です(c)TBS
参考:サンケイスポーツ「「朝ズバッ!」が不二家報道で捏造疑惑…TBSは否定」
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200703/sha2007032908.html
2007年03月28日
リベラルとか保守とか割り切れないのが現代社会だが。
Yahoo!みんなの政治-政治ポジションテストの私の結果。
http://seiji.yahoo.co.jp/feature/toitsuchiho07/position/kekka.html?px=3&py=0
世の中バランスとか言う割には偏っている私。
というか、世の中の大勢とは対極にいることが社会の健全性の担保であると考えるので、社会の現状をよく把握した上での妥当なポジションと言うべきか。
限りなくニュートラルなポジションに世の中が結論付けられることが、一番多くの人に幸せを分け与えることができると私は考える。
しかし、それは一方ですべての人が不幸せを分け合うポジションでもあり、一番多くの人が不満を持つ位置でもあるのだ。ゆえに皆が、自分に向けての「幸せの簒奪」を始める。そして世の中は、ふらふらと世論と言う自らが生み出すも、制御できない怪物に振り回されることになるのだ。
2007年03月27日
違和感

写真を撮るという時間を切り取る行為は、その時間を生きている人たちにとってはその流れを止める行為だ。
自分の「瞬間」を永遠に固定されてしまう不快感もあるし、特定の作業をする中で撮影という別作業する人の存在が作る空気感の乱れもある。
そこには、撮影する人の事情と言うものは関係ない。
プロだろうがアマだろうが、邪魔なものは邪魔だ。
自分が違和感を与えているという事を認知し、それに対し謙虚であれるか。
写真という趣味を持つものとして、大切にしたいと考える。
(産経新聞iza)【季節風】アマチュアカメラマンに物申す
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/44666
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