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2008年2月18日
語り継ぐもの 語り継がれるもの
『AMAKUSA1637』の旅~祈りの島をめぐる~(4)
富岡城。
江戸期に作られた城としては珍しく、わずかばかりの砂州でつながれた半島の山頂に築かれた天然の要害をもつこの城は天草島原一揆における天草側最大の激戦地であった。
城は天草地域の実効支配を狙う一揆軍の猛攻に耐え、天草四郎は富岡城の攻略を諦め対岸・原城に籠もる島原の一揆勢と合流することになる。その後の結果は私たちが知るとおりである。
今は、穏やかな海と空の蒼色に包まれる富岡城。
その城の二の丸に建つ銅像は、実は天草四郎ではない。
鈴木重成。
天草島原一揆後幕府直轄となった「天領」天草の初代代官である。
重成は、着任後の天草の現状から、争乱の原因を過大な石高算定による住民への課徴な取立てにあったと考え、住民の慰撫に勤める一方で幕府に対し石高の削減=年貢の引き下げを要求したのである。
度重なる陳情にもかかわらず願いが聞き入れられなかった重成は、老中への直訴を図り、自らの命を以って「最後のお願い」をしたといわれている。
その結果、天草の年貢半減は実現し、重成の兄正三の禅宗のすすめもあり、天草の地は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
天草の人の切なる祈りは、天草四郎を以ってしても神に届くことはなかった。
しかし祈りはひとりの人間に通じ、さらにその祈りにより大きな力を動かした。
そして人は後の世に、その人間への感謝の祈りを脈々と語り継いでいる。
ドライブガイド:富岡城
天草市の中心・本渡からさらに車で小1時間、苓北町中心部を抜けた小島のような岬にある。
復元整備されたのはつい最近で、石垣も城の建物も真新しくてタイムスリップ感は薄い。
本丸御殿は「ビジターセンター」として、苓北の風土、そして富岡城の歴史を気軽に学ぶことが可能だ。
ちなみに、二の丸には鈴木重成・正三兄弟の他、天草にゆかりのある勝海舟・頼山陽の銅像もある。
撮影データ:熊本県苓北町 α700+17-50mmF2.8