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2007年1月20日
存在する必然

2007.1.7 熊本市
SDR-S200
(サンケイスポーツ)無言の対面、泣き崩れ…風見しんご長女事故死
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/35453/
4年前には、存在しなかったふたり。
わずか3年と1年の付き合いだというのに、このふたりのいない生活というのはまったく考えられない。
ましてや、失うことなど想像もできないことだ。
うるさくても言うこと聞かなくても大飯くらいでも、生きていてくれなくては困るのだ。
心情を察すると共に、それでも人として誠実に振舞われる風見しんご氏に最大の弔意と敬意を表したい。
コメント
お子さん二人が突然事故等でいなくなってしまう。私には子供がいません(&結婚もしていません)が、そうなったときの苦しさ、悲しさというのは判ります。とても現実のこととして受け入れられませんし、それに、その苦しみ、悲しみは背負いきれないほどのものがありましょう。そんなことは絶対にあってはならないと思いますが、しかし、何かと物騒な世の中です。いつどのような理由で事件、事故に巻き込まれ、最悪の場合そんな被害に遭わないリスクは誰にもあります。それが悲しいというか何というか…。
>心情を察すると共に、それでも人として誠実に振舞われる風見しんご氏に最大の弔意と敬意を表したい。
そうですね。風見氏、愛娘が交通事故で亡くなるという背負いきれないほどの悲しみ、苦しみに直面し、本来ならば仕事なんて手につかないでしょう。しかし彼は、そんな苦しみを抱えつつも、予定された舞台には立つと明言しています。その気丈さ、敬意いたします。
で、話変わります。この事故の報道があってからというもの、私はクルマの運転に気を付けるようになりました。特に、右折、左折時の横断歩道には、以前より注意深く目配せするようになりました。あのような事故の加害者には、絶対になりたくありません。それによって受ける行政処分、刑事罰、社会的制裁の大きさに怯えるのもさることながら、風見氏のような深い悲しみ、苦しみにあえぐ交通事故被害者を絶対に出したくないという気持ちゆえ、そんな思いを抱きます。
ではまた。
投稿者 tsmania : 2007年1月27日 05:50