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2005年8月24日
心情を察すると何も言えなくなるのだが
読売新聞「JR福知山線事故の遺族ら、原因追及のグループ発足へ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050821-00000314-yom-soci
信楽事故の弁護士等がアドバイスしたようだが、正直賛成できない。
こういった事故の遺族が、「なぜ死んだのか」を知るのを望むというのは、日航ジャンボ機事故の文献などにもその姿があるし、私自身も遺族となれば、被害者となれば当然それを知ろうとするだろう。
しかし、だ。そのこととそれを実際に行動に移すのは別の問題だと思う。
身内の死は人間にとって最も悲しいことの一つだ。それはすなわち、私たちの心に大きなバイアスをかけることになる。そのような心理状況の中で、事故に関する一つ一つのものごとをきちんと真正面から見ることが出来るだろうか。
きっと、すべてが「悪」にしか見えないと思う。
そして、「事故原因の追究」は「事故責任の追及」にすりかわっていくだろう。
事故について一つ一つ紐解いていくことが遺族の方の心の癒しになるのであればそれでよい。
しかし、事故を知ることが誰かに対する憎しみや怒りを増幅させるだけであるならば、それはきっと誰にとっても不幸なことだ。私は、事故原因の追究に関し、委ねるべきは委ねることを勧めたい。
心情を察すれば私のような第三者が発言することは非常におこがましいことなのだが、それを承知の上で。